巨福呂坂切通しはなぜ立入禁止?幻の鎌倉七口の歴史と現在を徹底解剖
鎌倉の北の玄関口として中世の武士や僧侶が行き交った「巨福呂坂(こぶくろざか)切通し」。国指定史跡である「鎌倉七口」の一角を担いながらも、朝比奈切通しや化粧坂のように自由に散策することができず、現在は堅牢なフェンスで厳重に封鎖されています。
鎌倉散策や古道ハイキングを計画するなかで、「なぜ巨福呂坂だけは通れないのか」「どこまで近づいて見学できるのか」と疑問を抱く歴史ファンは少なくありません。現地調査と歴史資料をもとに、通行止めが続く理由や新旧ルートの変遷、知られざる現在の遺構状況を詳しく紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:巨福呂坂切通しが立入禁止となっている主因は、度重なる土砂崩落のリスクと私有地・文化財保護であり、現在も旧道内部への進入は一切認められていません。
- 要点2:鎌倉時代に開かれた「旧巨福呂坂」に対し、私たちが普段通行している車道は明治期に開削された「新巨福呂坂」、歩行者用トンネルは「巨福呂坂洞門」という異なるルートです。
- 要点3:内部への立ち入りは不可ですが、青梅聖天社や建長寺周辺から古道の面影や切通し特有の地形を安全に遠望・体感することは可能です。
【なぜ立入禁止?】巨福呂坂切通しが通行止めとなった真相と崩落リスク
鎌倉七口のなかでも、巨福呂坂切通しが現在も完全な立ち入り禁止措置をとられている最大の理由は、崖面の脆弱性と深刻な崩落事故の危険性にあります。
鎌倉を取り囲む山々は「凝灰岩質砂岩(鎌倉石)」と呼ばれる柔らかい岩盤で形成されており、雨水や風化に極めて弱い特徴を持っています。巨福呂坂周辺の谷筋はとりわけ傾斜が急であり、過去の豪雨や地震によって度重なる崩落が発生してきました。明治期に新道が開削されて幹線道路としての役目を終えた後、旧道は定期的な土木補修の手から外れ、自然崩壊が進行した経緯があります。
加えて、旧道沿いの敷地には私有地が複雑に入り組んでおり、安全対策が施されていない未整備の急斜面が連なっています。観光客の滑落事故や落石事故を防止するため、鎌倉市や関係機関によって強固な柵が設置され、関係者以外の進入を厳正に遮断する管理体制が敷かれています。
【歴史の真相】鎌倉七口の要衝「巨福呂坂」が開削された背景と防衛の要
巨福呂坂の歴史は鎌倉時代中期に遡ります。歴史書『吾妻鏡』の建長2年(1250年)の条には、第5代執権・北条時頼の命によって道路整備が行われた記録が残されており、この時期に本格的な切通しとして整備されたと考えられています。
当時、北条氏が深く帰依した禅宗寺院「建長寺」が山ノ内に建立されたことで、鎌倉中心部(鶴岡八幡宮周辺)と山ノ内を結ぶ連絡路の重要性が急速に高まりました。武蔵国や京都方面へと通じる北の幹線路でありながら、有事の際には敵軍の侵入を食い止める強固な軍事要塞としての役割も兼ね備えていました。
切通しの両脇には人工的に削り落とされた断崖絶壁がそびえ立ち、通路の幅は騎馬武者が横列を組めないよう意図的に狭く設計されていました。まさに鎌倉幕府の政治的・軍事的な防衛思想を象徴する土木遺構といえます。
【位置関係を整理】「旧巨福呂坂」「新巨福呂坂」「巨福呂坂洞門」の違い
巨福呂坂を巡る地理を理解する上で外せないのが、時代とともに変遷した3つのルートの存在です。現地を訪れる観光客が混同しやすいポイントを整理しました。
1つ目は、鎌倉時代から使われていた「旧巨福呂坂(切通し遺構)」です。鶴岡八幡宮の西側、現在の青梅聖天社の脇から山中へと入り、建長寺の裏山方面へと抜けていた古道で、現在フェンスの奥に眠っているのがこの道です。
2つ目は、明治19年(1886年)に開削された現在の主要幹線道路(県道21号線)である「新巨福呂坂」です。人力車や馬車の往来、さらには近代的な車両交通に対応するため、旧道よりも西側の山を深く切り拓いて緩やかな勾配で通されました。
3つ目が、新巨福呂坂の峠部分に設けられた歩行者専用トンネル「巨福呂坂洞門」です。歩行者の安全確保を目的に整備されたシェルター構造のトンネルであり、北鎌倉駅から鶴岡八幡宮方面へ徒歩で向かう際に日常的に利用されています。
【遺構の現在】見学は可能?旧ルートの現状と青梅聖天社からの痕跡
立入禁止となっている巨福呂坂切通しですが、「痕跡を少しでも確認したい」という歴史愛好家のための安全な見学アプローチが存在します。
最もわかりやすい手がかりは、八幡宮北西に鎮座する「青梅聖天社(おうめしょうてんしゃ)」周辺です。神社の鳥居をくぐり参道を上がっていくと、突き当たりに旧道へと続く分岐点があり、そこに「巨福呂坂」と刻まれた石碑と堅固な立ち入り禁止ゲートが確認できます。
柵越しに目を凝らすと、鬱蒼とした木々の合間に深く掘り割られた岩肌と、かつて往来が存在したことを示す窪地状の地形を観察できます。内部へ立ち入ることは法令および安全管理上厳禁ですが、谷底のような切通しの特異な地形を外部から体感することは十分に可能です。
【噂の検証】心霊スポット説の背景と地元で語り継がれる実情
インターネット上の一部掲示板やSNSでは、巨福呂坂切通しが「心霊スポット」として語られるケースが散見されます。この背景には、歴史の古さと特有の立地条件が関係しています。
新田義貞の鎌倉攻めをはじめとする中世の戦乱の記憶や、昼間でも鬱蒼と木々が茂り薄暗い雰囲気が漂うこと、さらには「立ち入り禁止のフェンス」という封鎖空間が人々の怪異への好奇心を刺激してきた側面があります。
しかし、地元住民や郷土史研究者の間では、そうしたオカルト的な噂は事実無根として受け止められています。通行止めはあくまで落石による人的被害を防ぐための現実的な安全対策であり、歴史的価値の高い中世遺構を荒廃から保護するための措置に他なりません。
【2026年最新】巨福呂坂周辺の歩き方と鎌倉切通しハイキングの楽しみ方
巨福呂坂切通しの内部は歩けないものの、北鎌倉から鎌倉中心街へと抜ける散策ルートには、切通しのダイナミズムを感じられるスポットが点在しています。
おすすめの散策プランは、北鎌倉駅を出発し、円覚寺や建長寺を参拝した後、新巨福呂坂と巨福呂坂洞門を抜けて八幡宮へと向かうコースです。洞門の手前から山側を見上げると、切り立った岩壁の迫力を間近に感じられ、中世の土木技術の一端を肌で体感できます。
もし「実際に切通しの古道を歩いてみたい」という場合は、巨福呂坂からほど近い「亀ケ谷坂(かめがやつざか)切通し」へ足を延ばすのが最適です。こちらは舗装されているものの通行が開放されており、すり鉢状の険しい古道の雰囲気を安全に満喫できます。未舗装の本格的な中世古道を体感したいハイカーには、名越切通しや朝比奈切通しの散策も推奨されます。
【巨福呂坂切通し】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:巨福呂坂切通しは、研究者やガイドツアーであっても立ち入ることはできませんか?
A1:一般の観光や無許可での立ち入りは全面的に禁止されています。文化財調査や学術研究、行政による保全工事など、鎌倉市や土地所有者の正式な許可を得た特別な調査以外で内部へ入ることはできません。
Q2:北鎌倉駅から鶴岡八幡宮へ歩く場合、巨福呂坂は通りますか?
A2:はい。ただし通るのは旧道の切通し遺構ではなく、明治期に造られた県道(新巨福呂坂)沿いの歩道および歩行者用トンネル「巨福呂坂洞門」です。安全に整備された舗装路ですので、徒歩で問題なく通行できます。
Q3:巨福呂坂切通しの復元や一般開放の予定はありますか?
A3:現在のところ、一般向けの通行開放や遊歩道化の具体的な計画はありません。崩落防止のための大規模な斜面補強工事は文化財としての景観を損なう恐れがあり、安全確保と景観保全の両立が非常に難しいため、現状の保護措置が継続されています。
まとめ:歴史を偲ぶための歩き方
鎌倉七口の中でも特異な存在感を放つ巨福呂坂切通し。フェンスの奥に閉ざされた古道は、中世の険峻な防衛拠点としての記憶と、風化しやすい砂岩の脆さを今に伝えています。
現地を訪れる際は、青梅聖天社のゲート前から古の武士たちが往来した風景に思いを馳せつつ、安全な新道や近隣の切通しへと足を運んでみてください。立ち入りが制限されているからこそ守られている歴史遺産の尊さを感じ取ることができるはずです。 (出典: 巨福 呂 坂 切通し(Yahoo!ニュース))