ボウリング発祥の地は長崎?日本初の歴史と古代エジプト起源の真相
老若男女が気軽にスコアを競い合える身近なスポーツとして親しまれているボウリング。何気なくピンを狙ってボールを投げていますが、一体どこで生まれ、どのようにして日本へ伝わってきたのか、その正確な歴史をご存じでしょうか。
日本におけるボウリングのルーツをたどると、幕末の開港期に国際色豊かな港町として栄えた長崎へと行き着きます。世界的な起源である古代エジプトや中世ヨーロッパの宗教儀式から、日本の長崎・出島周辺で誕生した日本初のボウリング場、そして記念碑に秘められた歴史の真相までを分かりやすく紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:日本国内におけるボウリング発祥の地は長崎県長崎市であり、幕末の1861年に日本初のボウリング場が開設された。
- 要点2:6月22日の「ボウリングの日」は、日本初のボウリング場「インターナショナルボウリングサロン」の開設広告が新聞に掲載された日付に由来する。
- 要点3:世界最古のルーツは古代エジプトの墓から出土した遊具とされ、中世の宗教儀式やルール革命を経て現在の10ピンスタイルへと進化した。
【結論】日本におけるボウリング発祥の地は長崎!日本初のボウリング場が誕生した背景
日本国内におけるボウリング発祥の地は、九州の長崎県長崎市です。安政の開国以降、長崎には多くの外国人商人が居住する外国人居留地が整備されました。その一角である大浦居留地において、日本初のボウリング場が営業を始めたことが歴史的記録として残されています。
日本に初めてオープンした施設の名は「インターナショナルボウリングサロン(International Bowling Saloon)」です。当時の外国人居留地で暮らす商人や船員たちの社交場・娯楽施設として設立されました。当時のレーンは木製で、ピンを立てる作業もピンセッターと呼ばれる人力の少年たちが行うなど、現在とは異なる素朴ながらも賑やかな光景が広がっていました。
なぜ6月22日は「ボウリングの日」なのか?日本ボウリング場協会が定めた由来と歴史
毎年6月22日は、日本ボウリング場協会(BPAJ)が制定した「ボウリングの日」として全国各地のセンターで記念イベントや割引キャンペーンが開催されています。この記念日の日付には明確な歴史的根拠が存在します。
文久元年(1861年)6月22日、長崎で発行されていた日本最古の英字新聞『ザ・ナガサキ・ショッピング・リスト・アンド・アドバタイザー(The Nagasaki Shipping List and Advertiser)』紙上に、「インターナショナルボウリングサロンがオープンした」という告知広告が掲載されました。この印刷物が、日本におけるボウリングの存在を示す最古の確証資料となったことから、1972年に日本ボウリング場協会が6月22日を記念日として正式に制定しました。
長崎市大浦町にある「ボウリング発祥の地記念碑」と現地へのアクセス
長崎市内の歴史街道沿いには、日本におけるボウリングの幕開けを今に伝える「ボウリング発祥の地記念碑」がひっそりと佇んでいます。石碑には記念プレートとともに、ピンとボールのモチーフが刻まれており、観光客やボウリング愛好家が訪れる隠れた名所となっています。
記念碑が設置されているのは、長崎市大浦町(旧外国人居留地エリア)の一角です。大浦警察署のすぐ近く、長崎電気軌道(路面電車)の「大浦海岸通」電停から徒歩約1分というアクセスしやすい場所に位置しています。グラバー園や大浦天主堂などの名所へ向かう途中に立ち寄れるため、幕末の国際交流の息吹を肌で感じられるスポットです。
横浜にもあった?「ボウリング発祥地横浜説」と開港期のライバル関係
ボウリングの起源を巡っては、同じく幕末に開港した神奈川県横浜市を推す「ボウリング発祥地横浜説」が語られる場面もあります。横浜外国人居留地でも早い段階から外国人クラブ内にボウリングレーンが設置されていたため、どちらが真の日本初なのか長年議論が交わされてきました。
しかし、当時の新聞広告という確実な日付の証拠(1861年6月22日)が残されていた長崎に対し、横浜の施設開設記録は長崎よりわずかに後、あるいは確定的な日付の裏付けが困難であったことから、公式な日本発祥の地は長崎と認められています。とはいえ、横浜が近代日本のボウリング普及と発展に極めて重要な役割を果たしたことは間違いありません。
世界に広がるボウリングの歴史と由来|古代エジプト起源説から宗教儀式・九柱戯へ
視点を世界全体に向けると、ボウリングの歴史と由来は想像以上に古く、驚くべきルーツを持っています。現在最も有力なのが、紀元前5000年〜3000年頃に遡る「古代エジプト起源説」です。英国の考古学者フリンダース・ピートリー卿がエジプトの古代墓地を発掘した際、子供の墓から木製のボールと数本の石のピンが発見されたことで、人類最古の球技の一つとして認知されました。
中世ヨーロッパに入ると、ボウリングは単なる遊戯ではなく宗教儀式と九柱戯(ナインピンズ)へと姿を変えます。ピンを悪魔に見立て、ボール(木球)を投げて倒すことで自らの罪を清め、信仰心を証明するという儀式が行われていました。この儀式を宗教改革者として知られるマルティン・ルターが好んでプレイし、各地でバラバラだったルールを「9本のピンをひし形に並べる(九柱戯)」形に統一したと伝えられています。
10本のピンと近代ボウリングの歴史|禁令を乗り越えたアメリカのルール革命
ヨーロッパから移民とともにアメリカ大陸へ渡ったナインピンズは、大衆の間で爆発的な人気を博しました。しかし、あまりの過熱ぶりに賭博の対象となって治安が悪化したため、1840年代にアメリカ各州で「ナインピンズ禁止令」が発令される事態に陥ります。
そこで愛好家たちが編み出したのが、「9本が禁止なら、ピンを1本足して10本にすれば法律違反にならない」という奇策でした。正三角形に10本のピンを並べる現在の「テンピンボウリング」が誕生し、ここから近代ボウリングの歴史が大きく動き出します。ルールが整備され、自動ピンセッターなどの機械化が進んだことで、世界的なスポーツ&エンターテインメントへと飛躍を遂げました。
【ボウリング発祥の地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:日本に現存する最古のボウリング場はどこですか?
A1:幕末に長崎で作られた「インターナショナルボウリングサロン」などの初期施設はすでに現存していません。戦後、民間向けに開設された初の本格的な民間ボウリング場としては、1952年にオープンした「東京ボウリングセンター(青山)」が知られています。
Q2:長崎のボウリング発祥の地記念碑は見学するのに料金がかかりますか?
A2:屋外の歩道沿いに設置されている石碑のため、見学は完全無料で24時間いつでも自由に見ることができます。
Q3:なぜ現在のボウリングピンは10本なのですか?
A3:19世紀のアメリカで9本のピンを使う「ナインピンズ」が賭博防止のために法律で禁止された際、取り締まりを回避するためにピンを1本追加して10本にしたことが直接の始まりです。
まとめ:歴史のロマンに思いを馳せて楽しむ現代のボウリング
普段は何気なくストライクやスペアを狙ってボールを投げていますが、その足跡をたどると、古代エジプトの祈り、中世ヨーロッパの宗教改革、幕末の長崎・外国人居留地という壮大なドラマが詰まっています。
長崎の港町で始まった日本のボウリング文化は、時代を超えて進化を続け、今や世代を超えて愛されるレジャーとして定着しました。長崎を訪れる機会があれば、ぜひ大浦町の記念碑に足を運び、日本のスポーツ黎明期を支えた歴史のロマンを感じてみてください。 (出典: ボウリング 発祥 の 地(Yahoo!ニュース))