国道246号の原点「矢倉沢往還」とは?歴史と旧道散策ルート完全解説
東京の赤坂から渋谷を抜け、神奈川を縦断して静岡へと至る首都圏の大動脈・国道246号。日々多くの車が行き交うこの幹線道路の足元には、江戸時代に人々の熱気で溢れかえった古道「矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)」が眠っています。
幕府の軍事連絡路として整備されながら、庶民の信仰の旅「大山詣り(おおやままいり)」のメインルートとして爆発的な賑わいを見せた矢倉沢往還。現在でも再開発が進む都心や郊外の住宅街の片隅に、往時を物語る宿場町の面影や道標、一里塚が静かに息づいています。歴史ファンはもちろん、休日散策の新たな目的地としても注目を集める古道の全貌を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:矢倉沢往還は江戸・赤坂御門から足柄峠を経て駿河国沼津宿を結ぶ東海道の重要な脇往還であり、現在の国道246号の原点。
- 要点2:公称は「矢倉沢往還」だが、江戸中期以降は「大山詣り」の流行によって「大山街道」や「青山通り大山道」の通称で広く定着。
- 要点3:溝口宿や荏田宿をはじめとする旧宿場町には歴史的遺構が点在し、都市景観と歴史ロマンが交差する旧道ウォーキングが人気。
【原点と歴史】国道246号の前身「矢倉沢往還」とは?東海道の裏街道としての役割
矢倉沢往還は、江戸城の赤坂御門(現在の東京都港区赤坂・見附付近)を起点とし、神奈川県西部を経て足柄峠を越え、駿河国の沼津(現在の静岡県沼津市)へと至る約70キロメートル以上の街道です。江戸幕府によって整備された東海道の「脇往還(五街道に次ぐ主要幹線)」として位置づけられていました。
この道が重視された最大の理由は、軍事と物流の代替機能にあります。メインルートである東海道には箱根の関所や増水時に川止めとなる「酒匂川の渡し」といった難所が存在しました。一方、矢倉沢往還は相模川を渡り足柄峠を経由して駿河へ抜けることができるため、東海道の有事や迂回路として機能する極めて重要なバイパスだったのです。
明治以降、この矢倉沢往還をベースに軍事道路や県道としての改修が進められ、昭和の高度経済成長期を経て指定されたのが現在の国道246号です。東急田園都市線がほぼ並行して敷設されたことも含め、首都圏南西部の交通インフラの根幹は、江戸初期に拓かれた矢倉沢往還のルート設計に深く依存しています。
「大山街道」と「矢倉沢往還」の違いとは?呼び名の由来と大山詣りの熱狂
古道散策や歴史資料を調べていると、「矢倉沢往還」と「大山街道」という2つの名称が混在している場面に出くわします。結論から言えば、この2つは基本的に同じ道を指す別名です。
幕府の公式記録や公文書では、相模国最西端の関所が置かれた足柄上郡矢倉沢村(現在の南足柄市矢倉沢)にちなんで「矢倉沢往還」と記録されていました。これが正式名称(公称)にあたります。
一方、庶民の間で親しまれたのが「大山街道(または青山通り大山道)」という通称です。宝暦年間(1750年代)以降、雨乞いや商売繁盛の神として知られる相模国・大山阿夫利神社への参詣(大山詣り)が江戸の町人の間で爆発的なブームを巻き起こしました。落語の演目にも登場するほど庶民に浸透した「大山講」の人々がこぞってこの街道を歩いたことから、道中そのものが大山街道と呼ばれるようになった背景があります。
【全ルート解説】赤坂・青山から足柄峠経由で駿河へ続く宿場町一覧
矢倉沢往還の全体ルートを地図上で俯瞰すると、武蔵国から相模国を縦断し、富士の裾野へと抜けるダイナミックな地形変化が際立ちます。江戸期に整備された主な宿場町(継立場)の流れは以下の通りです。
【矢倉沢往還の主な宿場町・中継地一覧】
・江戸・赤坂御門(起点:現在の東京都千代田区・港区境界)
・青山宿(現在の東京都港区南青山周辺)
・世田谷宿・三軒茶屋(世田谷通りとの分岐点、道標が現存)
・二子の渡し(多摩川を渡る要所)
・溝口宿(川崎市高津区:本陣や問屋場が置かれた大拠点)
・荏田宿(横浜市青葉区:下前川・宿場町の風情が色濃く残る)
・長津田宿(横浜市緑区:宿場町としての機能と寺社群)
・下鶴間宿(大和市:大山道の交差点)
・国分宿・厚木宿(海老名市・厚木市:相模川の渡河地点・大山詣りの分岐点)
・伊勢原宿(伊勢原市:大山へ直接登る参詣口)
・矢倉沢宿・関所(南足柄市:足柄峠の手前に置かれた厳重な関所)
・足柄峠(神奈川・静岡県境)
・沼津宿(終点:東海道と合流)
赤坂や青山を出発した旅人は、三軒茶屋で別れを告げ、二子の渡しで多摩川を渡河。溝口宿や荏田宿で宿を取りながら、大山や富士山を目指して西へと歩を進めました。
【宿場町と史跡散策】溝口宿・荏田宿に見る面影と各地に残る一里塚
現在の矢倉沢往還沿いは近代化が進んでいるものの、旧宿場町のエリアには往時を偲ばせる史跡が驚くほど保存されています。
代表格が川崎市高津区に位置する溝口宿です。街道沿いには「川崎市大山街道ふるさと館」が設置され、江戸時代の宿場資料や古地図が常設展示されています。周辺には明治・大正期の蔵造り商家が点在するほか、二子神社境内には岡本太郎制作の文学碑や渡船場の記念碑が佇みます。
さらに西へ進んだ横浜市青葉区の荏田宿は、かつて旅籠が軒を連ねた宿場町。現在も旧道沿いには緩やかなカーブと昔ながらの道幅が残り、常夜灯や庚申塔、歴史解説板が各所に配置されています。
また、旅の道標となった一里塚の史跡も見逃せません。横浜市緑区の下長津田周辺や川崎市内など、宅地開発の合間に保全された塚や記念碑が現存しており、かつての旅人が距離を測りながら歩いた足跡を肌で感じることができます。
【現代の様子とウォーキング】旧道散策のおすすめ見どころと歩き方のコツ
現在の矢倉沢往還は、国道246号のバイパス化によって本線から外れた「旧道」部分が多く残されており、歩行者にとって極めて魅力的なウォーキングルートとなっています。
旧道散策を初めて体験する方におすすめなのが、「二子玉川駅〜二子の渡し〜溝口宿〜梶が谷」の約5キロメートルのコースです。多摩川の開放的な河川敷を渡り、大山街道の風情を残す溝口の商店街を抜け、起伏に富んだ宮前・梶が谷方面へと向かうルートは、平坦な道と適度な坂道が心地よいリズムを生み出します。
もう一つの注目ルートは、「江田駅〜荏田宿〜市が尾〜長津田」へと抜ける横浜北西部の古道エリアです。港北ニュータウンの近代的な街並みから一本裏道へ入ると、突然現れる竹林や切通しの地形、古い石仏群など、タイムスリップしたかのような景観のコントラストを堪能できます。
旧道を歩く際は、スマートフォンで古地図アプリや自治体発行の大山街道ウォーキングマップを片手に、現道の国道246号と旧道がどのように交差・分岐しているかを確認しながら進むと、街づくりの歴史的変遷がより立体的に見えてきます。
【矢倉沢往還】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:矢倉沢往還を赤坂から大山まで歩くと、どのくらい時間がかかりますか?
A1:赤坂から大山阿夫利神社(下社)までは約55〜60キロメートルの行程です。江戸時代の健脚な旅人は1泊2日〜2泊3日で歩きましたが、現代のウォーキングとして旧道散策を楽しむ場合は、区間を2〜3回に分け、1日あたり15〜20キロメートル程度で刻んで歩くのが無理のないおすすめプランです。
Q2:国道246号と矢倉沢往還のルートは完全に同じですか?
A2:完全に同一ではありません。直線的に山を削り谷を埋めて整備された現在の国道246号に対し、矢倉沢往還(旧道)は地形の尾根や谷筋に沿って曲がりくねって敷かれていました。そのため、国道246号の側道や一本裏手の生活道路、商店街として残っている部分が本来の矢倉沢往還のルートです。
Q3:足柄峠周辺の矢倉沢往還は現在でも歩くことができますか?
A3:はい、ハイキングコースとして整備されています。南足柄市の矢倉沢関所跡から足柄峠、静岡県小山町へと至る古道は「足柄古道」として親しまれており、豊かな自然の中に石畳や関所跡の石垣が残る絶好のトレッキングルートとなっています。
まとめ:足元に眠る歴史のロマン!矢倉沢往還の息吹を体感しよう
日頃何気なく利用している国道246号や東急田園都市線のルーツである矢倉沢往還。そこには、江戸幕府の国防戦略や、大山を目指して歓声を上げながら歩いた庶民の活気あふれる歴史が刻まれています。
大都市の喧騒から一歩旧道へ踏み出せば、数百年前の旅人たちが見上げた神社の大樹や、風雪に耐えた庚申塔が出迎えてくれます。休日のひととき、古地図を片手に矢倉沢往還の歴史遺構を巡り、足元に眠る東京・神奈川の知られざるドラマを体感してみてはいかがでしょうか。 (出典: 矢 倉沢 往還(Yahoo!ニュース))